歌 碑 

萬世も仰げ諸人梓弓八島にあまる神のみいつを

   

上の掛け軸を石に刻み歌碑とする

この歌碑は戎さんの腰掛石の右隣にあります、一度探して観て下さい。




歌碑の詳しい説明です

萬代も仰げ諸人
梓弓八島にあまる
神のみいつを

万代(よろづよ)・・・いつまでも長く続く世
諸人・・・多くの人
梓弓・・・梓で作った弓
    ・枕詞:万葉集などにおいては、春(張る)、引くなどを導く。ほかにも、いる、
        はる、本、末、弦、おす、寄る、かへる、ふす、たつ、矢、音なども導
        く。
    ・ここでは、「やしま」の「や(「矢」と音が同じ)」にかかる枕詞か?
    ・ここでは、神事に用いられることなどから、神威を示す意か?
八島・・・おほやしまくに。日本の国。
あまる・・・(数量が)基準を越える。
御稜威(みいつ)‥・神や天皇の強大な威光。

「萬世も仰げ多くの人よ 日本の国を越える神(天皇)の威光を」

〔参考〕
「梓弓」
古くは神事や出産などの際、魔除けに鳴らす弓(鳴弦)として使用された。
祭りり矢・祭り弓祭り矢・祭り弓という神事が日本各地で催されていた。年始に行う亊が多く「鹿討の神事」.などとの共通性もみられ、その地域の1年の吉凶を占うものであり、神社の境内などで弓術の的と同じ物を、選ばれた福男が射抜くことにより行われた。的は金的・銀的などがあり、射ぬいければ祝的となり、五穀豊穣や大漁追福が約束された。また地域によっては、神職が行う事もあり、これらに使用された弓矢を梓弓と呼ぶ場合もある。

『明治天皇御集』より

 ・つはものと共に野山をわけてみむ手馴の駒にくらをおかせて
 ・梓弓やしまのほかも波風のしづかなる世をわがいのるかな(明治35年槻)


平胤明→千葉胤明(ちばたねあき)
元治元年(1864)生〜昭和28年(1953)歿
 佐賀藩士で桂園派歌人の千葉元祐の長男。名は胤明、号を春翠と称した。
高崎正風に和歌を、書を長三洲に学んだ歌人で、明治25年御歌所に入り、明治41年に御歌所寄人となり、『明治天皇御集』の編纂委員で帝国芸術院会員。

 大阪城の裏鬼門の守り神として木村長門のかみが宮司宛に残した手紙の写しです


inserted by FC2 system